草で書、つるで書
山の植物の中でも特に私が偏愛しているのが、つる植物です。
くるくると絡まりながらひゅーんと伸びていく、あるいはなだれ落ちるような、つるが空間に描く線を見つけるとキュンとなります。

この写真のつるは、枯れたヤマノイモ。
ベージュ色のコサージュのようなものは、タネの入った果実です(種皮が乾燥したものを蒴果 さくか といいます)。
このかわいらしさ、わかっていただけるでしょうか?
見ていると、「女」という字に見えてきたり…
こちらの写真は、サルトリイバラの冬芽。
去年の巻きつるが針金細工のブローチのように、完成した造形を残しています。
私だけかもしれませんが、つるの描く線は文字に見えます。
書が好きでして…
↓少し前の、私の作品たち
どれも植物をモチーフにしています。
左から、「花」「曲」「光」「新春」「花」と書いています。
書というよりは、文字をモチーフにした抽象という感じかもしれません。
文字の持つ元々の意味を抽出して、文字造形を植物に重ねて表現するのが私のスタイルとなりました。
「曲」を書いた時に、先生からいただいた講評が、思い出深く心に残っています。
曰く、その時最初に書いていた作品は、無理に絵のように書きすぎていて、「作為」を強く感じた。しかし、最後に着地したこの「曲」は「作ろう」とする意図から少し自由になったように見える。書の世界ではこれを「卒意」という。
私の制作意図は、「曲」という象形文字の成り立ちが、木を曲げて作った細工物の形からきているということが琴線に触れ、カゴを編むつるのように書きました。ここに至るまでは、先生の言われたとおりで、カゴのように、カゴのように、と意図するあまり、ぎこちなくわざとらしい線を大量生産しました。最後はわからなくなり、目を閉じて書きました。できたのがこの作品です。
自然観察をするようになり、今は書から離れています。自然の美をわざわざ私のフィルターに通して再構成する必要がないように感じられるのです。
また、物品のコレクション癖も消えていきました。自然の中で繰り返される季節をその瞬間目撃すること、その経験をコレクションすることのほうが貴重で尊いと思うようになりました。
写真を撮るので、デジタルデータで、どこかのチップの上には貯まっていくのですけれども。